ただ、明日が
- gakusouza

- 3 時間前
- 読了時間: 3分
おはようございます、チベスナです。この記事を見てる人には漏れなく朝日をプレゼントです。5000万円振り込んでおいてください。
最近ね、分からないことが増えてきたんですよ。ただそれが何かというと、それを言語化するのもなんというか、また難しいんですよね。
でも一つ言えるのは、多分物質的な、それこそ金銭とかそういう類の話でもないんですよ。「欲しいものがわからない」とか、「何を買えば満足できるのか」とか、そういうのではないんです。
多分、それはもっと質量のない、言わば精神的側面が強いのかなと思います。何を感じるか、誰を好きになるか、どう動きたいのか。解らない、分からない。
今生きているこの日常は本当に楽しいのか。私は将来のためか、或いは明日の昼飯の為に働いてるのか。
貯まらない貯金は果たして正しいのか。誰かを好きになれないこの心は死んでいるのか。
好きの代わりの感情は感情といえるのか。それが相手に対して正しい姿勢なのか。
楽しいことのため?辛いことのため?もっと近くのこと?或いはもっともっと、より遠い未来のため?何のために私は明日のアラームをセットする?
分からない、解らない。自分が何を悩みとしているのかさえわからない。本当は悩みなんてなくて、不安はただの杞憂で。しかしそれこそが人間らしさなのかもしれないし、いやそれは単に辛いナニカから逃れようとして覆い隠した「ハリボテ」なのか。
死の匂いが近づく時、本当はただそれに身を委ね、終わらせるべきなのかもしれないし、それが楽なのかもしれない。終末に、終焉、エンドロール、カーテンコール。どんな形でも終わりは終わりで、さっさと終わらせてワンチャンありえる「ニューゲーム」に任せてしまってもいい気がしているんですよ。まだ死にませんけどね。親より早くというのは流石に躊躇われるところがある。
立ち止まって考えても仕方ない時の方が多いんです。なにせ、自分でさえ解らないんだから。歩むのをやめて、ただそれに真剣に向き合っても理解には限度ってものがある。自分でさえ、自分だというのに。
ふと、思い出す場所があるんです。大阪府大阪市は住之江区。大阪港の南側にある、通称「南港」。わかりやすい言い方で言えば、咲洲、でしょうか。アジア太平洋トレードセンターとかがあるところです。これを見ているみなさんが分かるかは分かりませんが。
南港の南側、ATCほぼ真隣のフェリーターミナルか、或いは北側、コスモスクエア駅あたりにある釣りもできる公園あたりを思い出すんです。
めっちゃどうでもいいんですけど、コスモスクエア駅って中国語表記が「宇宙広場」なんですよ。バリ好き。
さて戻して。そこで感じる風ってのはまぁ〜痛いほどに冷たく鋭いもんなんですよ。6月でさえ厚めの秋か軽めの冬服じゃないと長時間滞在は難しいぐらい。
そんな凍てつく風が、私を緩やかに崩していく。固まった何か、固着したグリスが、音を立てて、目に見えて崩壊していく。
でもそれは、単に明日への希望ってわけでもないんです。その風の冷たさと同じ体温になりたくなるような気もする。
印象深い風なんです。でもその風は、確かに背中を押してくれる気もします。まだ生きててもいい気がする。多分、いや絶対やり残したことがある。
希望でなくとも、原動力にはなるような、そんな気がするんです。太陽も似たようなものですけど、私は冷たい風の方が合うらしいんです。
氷風 朝日のように 明日連れて
私が去る時は、「さようなら。またどこかで」とだけ書き残しているでしょう。


コメント