I MY ME MINE
- gakusouza

- 10月22日
- 読了時間: 3分
やぁやぁどうも皆さま、単独の記事ではお初となりますチベスナです。
さて、気づけばもう10月も半ば――いや、終わりですね。
書き始めたのは確か9月30日だったはずなんですが、気がつけば日付が二つも変わっていました。
つい先日は自民党の総裁選がありましたね。私としてはなんというか、50/50ではありましたが……早苗さん、まずはご当選おめでとうございます。
そして万博ももう間もなく。最後に行ったのは9月21日、学窓座の万博公演でいただいたチケットを手に、楽しく行ってまいりました。
いやはや、ミャクミャク“様”はお元気そうでしたとも。
……と、ここまで書いていたのがもう10月19日(もう20日ですね)。
まぁ、寄り道はこのくらいにして本題に入りましょう。
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私はいつも、二つの生き方を心に置いています。
ひとつは「風の流れに逆らわないこと」。
もうひとつは「富士山は上から見た方が面白いこと」。
まずは前者から。
「風の流れに逆らわない」とは、つまり“自分の感覚に嘘をつかない”ということです。
感じたフィーリング、腑に落ちる瞬間。それに従う、という生き方。
たとえば受験のとき。
私はいろんな大学のオープンキャンパスに行きました。校舎や設備を見ながら、とにかく歩き回って、空気を感じる。
その中で「なんか違う」と思う場所もあれば、「あ、いいな」と感じる場所もあります。
そしてあるとき、ふと訪れたキャンパスで、心の中に“カチッ”と音が鳴る瞬間が来るんです。
――「あ、ここだ」。
それは昼飯を選ぶときだって同じです。
マクドにするか松のやにするか迷っていても、「こっちだ」と腑に落ちる瞬間がある。
その瞬間が来たら、私はもう選択を変えないようにしています。
風の流れに逆らわず、ただ流れに身を任せて。
掴むべきときに、しっかりと掴む。
それが、私の一つ目の生き方です。
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そして二つ目――「富士山は上から見た方が面白い」。
これはもっとシンプルです。
つまり、「上の立場から見た方が、世界はよく見える」ということ。
私は一度だけ富士山に登ったことがあります。
あのときのご来光は……まぁ、寒かったですね。美しいというより、寒さの記憶が勝っています。
でも夜が明けて、朝日が差し込んで、山を少し降りたところでようやく見えたんです。
遠く遠くに広がる街並みが。
街から見る朝日は、ただの朝日。
でも山頂から見る朝日は、努力と寒さの先にある光です。
街から見える富士山は「でかい山」にすぎません。
けれど富士山の上から街を見れば、自然も、山並みも、街の構造も、ぜんぶ一望できる。
――そのとき、ふと思ったんです。
「これは社会の構造と似ているな」と。
下から見ていると、上は遠くてよくわからない。
けれど上に立って見ると、全体の仕組みや動きがはっきり見えてくる。
上から見下ろすほど、世界の「解像度」が上がるんです。
しかも、上から下に降りるのは簡単だけど、下から上がるのは大変。
だからこそ、上に登る価値がある。
苦労してたどり着いたその視点こそが、何より面白い。
そう思うんです。
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長くなりましたが、これが今の私の二つの生き方。
「風の流れに逆らわない」ことと、「富士山は上から見た方が面白い」こと。
どちらも、日々を少し楽に、でも確かに前へと進ませてくれる考え方です。
拙い文章ではありますが、「私」という人間を少しでも知っていただけたら幸いです。


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